ハートランドの裏に、隣の本郷さん一家の6人、近くにある団地の山田さん親子、車ごと流されて来て車から脱出しブロック塀に上り何とか避難した高橋さんと稲妻さん、合わせて10名が冷たい水に膝まで濡れながら雪の降る中頑張ってました。

被災当日、ブロック塀に孤立した10名を絶対助けるんだと決意し、必死に皆を大声で励まし続けました。

津波で真っ黒な瓦礫まじりの水、容赦なく降りしきる雪、水位は175cmの自分でさえも口が出ない深さで、物干し竿とハンカチで10分おきに水位を確認しながら恐怖と戦いました。2階のカーテンをロープ代わりに何本も結んで雪で濡れたトタン屋根を歩けるようにし、水位の確認を続けました。

2時間ほどたったと思います。雪の降るなか膝まで冷たい水に浸かり限界だったんでしょう、隣の6歳になる『かいり』君が泣き騒ぎ尋常じゃない状況になりました。日も落ち時間的にも限界だと感じました。

やるしかないと決断し、水位を見ました。すると何とか自分の肩くらいになってました。『行くっ』と気合いを入れて救出行動を開始しました。

屋根から玄関上のひさしに下り、そこからワゴン車の屋根に布団を放り投げ、そしてワゴン車の屋根に飛び移り、運転席側から、まるで滑り台を滑るように水に入りました。!!!っ、『俺死ぬかも』水から顔がやっと出る深さでした。心臓が止まりそうな冷たさでした。皆を助けたい一心でした。

そこから倉庫にあるはずの脚立を取りに行きました。傾いた事務所にしていたプレハブの下を歩き倉庫まで行き、脚立を持ってまた戻り、水の中がどうなってるのかもわかりませんでした。何とか脚立をはしご状にしてプレハブに立てかけ、手前にいた山田さんの中1の娘さんを2階に上げ、次にかいり君を迎えに行き、3歳のるい君、お父さんのふところに抱かれてた4ヶ月の赤ちゃんはる君を受け取り、まず子供達の命を守ることが出来ました。あとは山田さんを2階へ、本郷さんが奥さんを途中まで連れて来て、奥さんを受け取り、後はおふくろさん連れて来いよっ、と声かけ私も2階に上がりました。私を含め8人全員が無事2階に上がれました。本郷家の涙を忘れることが出来ません。私も嗚咽をあげ号泣しました。

高橋さんは積み重なった車の上を渡ってきてもらい2階から引き上げました。
道路向かいのブロック塀にいる稲妻さんは0:30頃にてこぎボートで巡回していた自衛隊に救出され、ロープを使い2階に引き上げました。

全10人を2階に迎え入れ、私家族4人、私のおふくろ、姪、スタッフの理絵の17人で2日間救助を待ちました。

余震が何度も何度もきて本当に世紀末を感じた2日間でした。

生かされた命これからも頑張ります。


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ブロック塀に10人が孤立(8人)
2階から
目の前で爆発
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本郷さん6人が立っていた塀
山田さん親子が立っていた塀
脚立があった倉庫
脚立を取りに歩いた所
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自分の目線
脚立を立てかけたプレハブ
流された本郷さんの車
高橋さんが孤立した電柱付近と私の愛車ハイラックス
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必ず助けると励まし続けた自宅屋根

ブルーシートの下はバイクです

ハートランド前の交差点から仙台港へ向かう道路
東日本大震災の時間、3月11日14:46で止まったままの多賀城自衛隊の壁時計